+81 1話

作:U4

 世の誰も彼もに保証された最低限の生活水準。それはたとえ堕落故だとしても、反対に不平等の引き起こす苦悩故だとしても「生きてさえいれば」寝ているだけで明日も健康的文化的に生きることを保証されるボーダーのことを指す。この星に住む住人も、遂にその水準を手繰り寄せて手に取るところまでに成長した。今までに何億人もの犠牲を出し、幾度となく血を流しながらも、星が一つの国となろうとするに連れてゆっくりと。
 ところで、この星の掟をご存知だろうか。いやなに、それは至極簡単なこと。
「大人になったら、豊かな生活を送れるよう自分の能力を理解し、自らの能力にあった土地に行きそこで生を営まなくてはならない」
 勿論、まだ地球国などという虚構が三次元に出てきたわけではない。しかしどの国にも得意不得意があるという事実がある以上、最低限の生活水準にプラスαをできる人間を全てにするとは到底行かないのだ。だから国ごとに、やんわりとではあるが役割というものができつつある。
 我が国……私達が今地に足落としているこの場所を、81ブロックと呼ぶと、81ブロックは科学者の国である。今の世代の若者たちが憧れるあの科学者である。彼らを世界から多く招き、多く生産し、多く排出していくこの場所は、世界でも類を見ない「政治家」の消失が確認された土地だ。科学者や資本家たちが覇権を牛耳り国を豊かにする。そう、科学者たちが科学者同士を援護し、また貶め合う。それこそが今のこの国の現状だ。
 そういえばここ数年、大きな顔をしている研究団体がある。人間の体内に大きな干渉をせず、しかし機械によってこの星を豊かにしようとする団体だ。彼らの壇上占拠により、他の科学研究団体は勢力を縮小させ、幾らかの組織は地上から姿を消した。
 そう、「地上」から姿を。

 人工の明かりは、どれだけ進化しようが太陽の輝きを悟らせることはない。地下に眠る生物は、未だ母なる明かりを拝めない。

1 初陣
Aランク81ブロック第26地区
地下

 ヴゥン
鈍いレーザーが地を塗りつぶす午後十二時二十三分。西暦でいうと2000年はとっくに超えている「現代」。
 此処は夜を模した屋内の模擬ビル街。部屋の端にある窓から一人の人間が見下ろしている実験場のような部屋。アスレチックのような複雑なギミックの取り付けられている広びろとした空間の中で、一人の人間が縦横無尽に駆け回っている。光を発する一つ目の自動人形の群れ、その獲物は唯一つ、そのタンパク質の塊だ。
「……ん。」
左脚を軸に飛び上がる軌道の後を追うように、青白いレーザーが暗闇だけを抉り取る。重力を無視した人間のアーチは、五メートルは離れたビルの屋上に収束した。手をついてウィンドミル、特殊スニーカーの標的は新しい光の発生源。
 レーザーの光を華麗に避ける10歳ほどの見た目をした少女は、一つに縛った長い黄土色の髪に青みを帯びた鋼のような瞳を持っていた。耳に取り付けられたインカムの音に神経を集中させ、まるで踊り子のように飛び回っている。その光景は、本来この世界の人間が人生に一度も経験することのないような禍々しいものでありながら、彼女の慣れた動きはまるで日常の様だった。
『ヒトリさん。後ろの鉄階段から一体警備ロボットがきます。至急その通路を渡りきり、次向かいの壁に飛び移ってください……3、2、1。今です』
「っと。出来た。どうやって入る。二滴でいいかな」
 彼女は、ヒトリは窓の向こうにいるであろう彼の声を聞く。平然とした冷たい顔貌を変えないまま、パイプにしがみついた彼女は硬いリストバンドに目を移す。先程までいた細い通路には、レーザーを携えたロボットが先程の通路から顔を出した。
『良くないです一滴で十分です。パイプを登っていけば小窓がありますよね。そこに行けば終了』
「……りょおかい。」
『能力発動まで残り五秒……2、1、0』
 0コールが聞こえた直後、電波を受け取った彼女のリストバンドが鈍く光る。チクと刺さるような痛みがして、何かが腕から流れ込む。左腕が、胴が、即座に身体全身が溶けるように熱くなった。グラグラと煮えたぎる感覚が、少女の潜在能力を増進させ、文字通り骨の髄まで溶かしていく。まるで薄いビニール袋に覆われた泥水の様に、その身体は醜く人の形を失った。
 彼女の異質な能力の発動が、訓練の終了を告げる。
地下に追いやられた訳あり組織の戦闘員である、彼女たちの。
 
 『第十四部隊訓練ガ終了致シマシタ。次ハ二十分後ニ第七部隊ノ訓練ガアリマス』
 シャワー室をあとにして着替えた先程の彼女は、随分なれたような足取りでアナウンスの響く無機質な隠し廊下を一人の男と一緒に歩いていた。
「ヴィー。おつかれ。」
「はいお疲れ様ですヒトさん。初陣前最後の疑似訓練、無事成功ですねぇ」
 ヴィーと呼ばれた身長差40センチ以上ある壮年の大男は、先程彼女に行動指示を出していたオペレーターである。いつかの傷でも隠すかのように顔の半分を覆い、オリーブグリーンのフェドラの下でいつでも口の端を吊り上げている。まだ白髪混じりなのに少しおぼつかない足取りといい容姿は奇妙そのものであるのだが、普段何も考えていなさそうな相方にとっては名前含め一切の疑問は無いようだ。
 それでも、親子にも見えるほどの彼らは、確かに仕事の相棒のようであった。
 「俺さ、前より避けるのう、まくなった。」
「うまいどころか、二ヶ月で壁上り習得する女の子ってどうなんですかぁ? 何をしたら短期間でそんな筋肉がつくんですかね全く。ヒトさんの狂った熱意には寒気さえしますが、どうぞ『お身体はお大事に』」
「え、飯、くってるから。あ、腹減った。」
「俺とか飯とか……一体誰に似たんだか。まぁとにかく、時間も時間ですしそのまま食堂に向かいますか」
 先程とは種類の違ったぎこちなさを引きずりながら、二人は暗い廊下を帰っていった。
 此処は、遺伝子研究機構。この国の覇権を牛耳る人間から迫害された遺伝子操作を行う人間たちが、地上から追いやられ落ちに墜ちた成れの果てである。

 その昔、この国には科学研究連合という組織があったという。文字通り科学を司るその団体は、国の財政を安定させ国力を上昇し、国民の信頼の名のもとに国の三柱の二つを横取り、国の仕組みを変えてしまったらしい。彼らは科学技術に追いつかなかった古臭い法律をぶち壊し、みるみるうちにこの国は変わっていった。しかし、
「科学とひとまとめに言っても、系統や思考の違うグループは互いに互いを鬱陶しく思い始めました。それから徐々に分裂し、またそれぞれで覇権争いを始め、最終的に力をつけたのが工学系のチームだった訳です。解りますか」
 小さな15畳間の食堂でノートパソコンを激しく打ち鳴らしながら、ヴィーは同じく食事を待つ相手に説明した。
 眠たそうにしながら赤べこのように頷く女は、面倒そうに文句をたれる。
「ん〜。分かる気がする。なぁなぁ一問一答して。俺答れれる。」
「え〜でしたらその工学系チームがさらに分裂を繰り返していたときに、それらを束ねようとした組織と束ねられた大組織の名前を……お答えください」
 長い長い沈黙。
「……うえ、ウェアラブル派。組織は……『寝ろ』だな」
「そうですね『MERO』ですねぇ。そのMERO、正式名称『機械研究連合』の政策によって、ただでさえ直前に副組織長を始めとした多くの構成員が脱退していた私達遺伝子研究機構は、地下へ逃げることとなったのです。前組織長が残した資産と我々が経営する小さな食品会社が、この組織の首をなんとか繋ぎ留めているのですよ」
「そう、敵がめろだぁ。」
 もはや日常とかした社会クイズも、ここに来てから二ヶ月もすれば思考回路ぐっちゃぐっちゃな彼女も覚えるようになった。別に任務に然程重要なことではないのだが、ヴィー曰く「未来のヒトリさんのため」と律儀に解説を行っている。
 今この国の上は、MEROに所属する機械系の中小組織と、国に認められた組織のほか、国が解体を指示していない小さな組織がある程度は平和に存在している。基本的には、「人間ができるだけその姿のままで豊かな生活を送れるようにする」という思考の組織が力をつけているのが現状だ。この組織「遺伝子研究機構」は、その名の通り人間が遺伝子構造レベルで強くなることを目標にした「危ない」思考の団体だ。機械で国を豊かにしようとする人間たちと馬が合うはずもなかろう。
「それにしても早く、地上に出たいものです」
「ヴィー、いっつもそれ言ってるよな。そんなにいいところなのか? 」
 視線を上にあげながら、言葉を探すように少女は口を動かして黙りこくる。七秒ほどそれを続けて、思い出したように話を切り出した。
「そういや前の俺は地上で暮らしてて、家族がいなくて、統括長さまに保護されたんだよな? 俺には、MEROが駄目って言ってる液状化の能力があったから」
「能力所持者は、当時でも迫害の対象でしたからね。あなたの能力をMEROに対抗する戦力として身体を危険にさらすのは非常に遺憾ですが、そうでもしないと進展が無いと言われれば何も返せませんね」
「俺拾ってくれた統括長さまの役に立ちたい。だから戦うしかないな。俺、頑張るよ。」
 コード:14AN0202F
 能力:液状化 ヒトリ
 彼女は最下部隊、第十四部隊に所属する若い起動要員だ。
 これまでの成り行きについて言うと、彼女は小さい頃にこの組織に拾われた孤児だったらしい。らしいというのは、今の彼女はそれについての記憶が無いのである。
 液状化について語ると少々長くなるので掻い摘んで説明すると、液状化細胞と呼ばれる体細胞を変形させ、形を変えられる能力のことである。普段は指先をじんわりと溶かせる程度だが、とある科学者が開発した能力増進剤によって体全体が変形できるようになるのだ。先程訓練で使われていたリストバンドも、その増進剤タンクだ。
 話を戻して、液状化という特殊な能力を持つ彼女は、以前能力の副作用に致命的なものがあったらしい。それを改善し起動要員としてやっていく為に脳手術をしたところ――二ヶ月前の話なのだが――今までの記憶がすっぽり抜けてしまったらしく、人格も知能指数もまるで別人になってしまったとか。
「……今の俺は一人で外に出れないくらい頭が弱いらしい。だからヴィーがオペレーター? として助けてくれるんだよな。」
コード:14NN0101O
 能力:知能 No.7
 ヴィーという愛称で呼ばれたこの細身の男はヒトリの相棒であり、たった二人しかいない十四部隊の一人である。
 以前は第一部隊……すなわち最上部隊の博士助手を勤めていたが、とある罪を犯し、別の研究員と共にちょうどこの組織にやってきたヒトリのお世話係におちてしまったとか何とか。それゆえ彼は地下から出られず、しかし尚外への憧れを捨てられず働いているらしい。無論この内容は彼らをがそう言っているだけで真実は分からないのだが。
 あなたを無傷で返すのが私の仕事です。初めての地上任務ですがいつも通りやりましょう。全方位からサポートします故」
 少しいやみったらしく言った相手の言葉をそう受け取らず、得意ぶって女は指を取り出す。
「まず朝一時にエレベーターに乗る。次に車で標的のビル近くに向かう。それから裏路地に面したところの通気口を通ったら、中心部で十分間待つ。最後に退散だな。」
「……それを任務当日にすぐ出てこないのがヒトさんの悪いところです。手術で手に入れられたその素晴らしい知力、改善点はそのままで直せないものなのですかねぇ」
「うぅ……ぁ、外はじめて。あと今日。統括長様の補佐役に会えるんだろ? 楽しみ! あ、きたきた。」
 うん。やっぱりこいつ駄目だと再確認しながら、ヴィーは付き合い二ヶ月の相棒が持ってくる昼食を受け取った。
 ちなみにMEROの一派であるアバター派についてはおいおい話すとしよう。
「彼女は底辺部隊である我々にとっては大気圏を超えて旧宇宙ステーションの静止衛星起動ほどの存在ですからね。殴られたくなければくれぐれも無礼の無いように」
「良くわかんないけどヴィーのほうが気をつけたほーが良いぞ。頂きます。」
 好物のカツ丼の匂いと温かい湯気に顔をうずめて、相棒の忠告を流してヒトリは目を閉じる。その当人は、何時も変わらない彼女のメニューに視線を落とし、湿った息を吸い込んだ。
(まぁ、黙っておけば何も良からぬことはしないだろう。出来ればいて欲しくないがな)

 七時。
 地下の夜では体内時計の狂いを最小限に抑えるため、時間ごとに空間の気温が調節されたり、廊下灯は非常に暗くなったりするほか、室内のバックミュージックにも配慮されている。幼い頃の記憶を無くし地下育ちのヒトリには、そんな天井から流れるハープのような音が彼女の知る数少ない夜の意味の一つだった。
「ヒトさん。明日は朝早いですし、もうお休みになられては? 」
「でも、もうすぐ……差役様がくる……駄目かな」
「……顔を合わせるくらいなら良いでしょう」
 相棒や自分の健康診断結果を黙々と打ち込む男の向かいでは、身体年齢がまだ幼いヒトリがうつらうつらと首を揺らしている。夜のトレーニングと入浴を終えたのも加わり非常にノンレム睡眠状態に近かったが、上司にどうしても会ってみたいがために必死で首を上げていた。
「コンコン」
 案外、待っていると早く来るものなのである。その軽いノック音とともに、事務室の二人は立ち上がる。自動ドアは、滑るように開いた。
「第十四部隊。任務の確認に来た」
 狭くごちゃごちゃとした事務室に、灰色のスーツを着こなした一人の女性が入ってくる。ヒトリは壁にへばりついて敬礼をしたまま、眼鏡越しに鋭く黒光りする彼女の瞳に見惚れていた。
(この人が、統括長様の補佐役。シノザキさま。)
 コード:01RS0202O
 能力:不明 シノザキ レイ
 彼女は第一部隊に所属する組織の二番目であった。三十そこそこのかなり若い見た目ながら、その気性は相当出来上がっているとかヒトリは相棒から聞いている。出来あってるとはどういう意味かよく知らないが。
「わざわざご苦労さまですMs.Shinozaki。こうして直接お会いするのは何ヶ月ぶりでしょうか。お元気そうで何より」
 ニタァと微笑むヴィーに対し、シノザキは冷たい視線のまま脇に挟んでいたタブレットを手にとって突如、
 
 歪な喉仏のある首をゴズンと容赦なく叩いた。
「げっ‼ 」
 あまりにも突然であまりにも速い一瞬だった。流石にヒトリもこれには驚き、素っ頓狂な声を漏らしてしまう。対照的に傷を負った当事者は、痛みに耐えながらその笑みを絶やさないよう必死に顔を繕っていた。
「ふ ざ け て い る の か 格 下」
「ゴッ……なんの……事でござい、ましょう? 」
 ヒトリにとっては訳のわからない修羅場が出来上がって焦っていると、目を血走らせたシノザキは今度は、ぎろりとヒトリの方に視線を向ける。
「貴様がヒトリか? 」
「は、い。お初お目にかかります。副統括長様。第十四部隊起動要員、ヒトリです! 」
 ヴィーに駆け寄りたい衝動に駆られながら、練習していたフレーズを寸分の間違いもなく復唱する。暫く彼女らは黙りこくっていたが、幸いシノザキは幾分か落ち着きを取り戻し、タブレットを収め敬礼し返した。濡羽色の髪が艷やかになびくのを、下っ端要員は恍惚と見惚れる。
「第一部隊司令要員、シノザキだ。明日の任務、期待している。今からお前のパートナーと少し話がしたい。少し、席を外してくれないか」
 お目にかかりたかった上司から期待している。といわれて舞い上がりかける彼女も、流石に先程の状況を忘れることはできなかった。
 当然、頼みを呑むほか彼女に選択の道はない。だからといって、自分の唯一の相棒が痛手を負っているのを見過ごしたくは無かった。
「でも、ヴ」
「ヒトさん」
 たじろぐ相手を見て、ついにヴィーは痺れを切らし、困ったように目を細める、仕草をする。
「大丈夫ですよ。私は平気ですから、あなたから心配されることなどありません」
「……」
 ある程度の意思疎通を見届けるシノザキは、何も言わずにヒトリから背を向け敬礼を続けた。拒否権など、はなから無い。
「そうか……失礼しました。」
「ヒトさん。おやすみなさい。明日は零時起きですから寝坊しないように! 」
 深く礼をして部屋をあとにした少女に、耳を澄ませてそれからの会話を聞こうという気は起きなかった。
(また俺、何をすればいいのか分からなかった。)
 心の中で大きく息を吐いたヒトリは、改めて考え直してみても上司が相棒に手を出した理由がよく分からない。いや、自分が考えても無駄かと諦めたように瞳を軽くこすりながら、寝床へと向かうほか無かった。
 ところで、場所は戻って第十四部隊事務室。
「……さて、No.7」
 二人きりになったその場所で、若い上司が白髪混じりの部下の胸ぐらを掴み無理矢理かがませている状況下。心底相手を憎む目と、何も悟らせない薄気味悪い目が二つと一つ。冷たい空気の支配する場所で、昔ながらの彼らの関係性を重く匂わせた。
「彼女とは今まで一度も面識がないが、あの様子、以前の報告から余りにも変わり果てている。そして貴様もだNo.7その気味の悪いのは。一体何を企んでいる」
 人に付けられるべき名ではないそれを呼びながら、殺意のこもった眼でシノザキは相手を見つめている。それはまるで、仲間に裏切られた純粋な子供のようであって。
 対してNo.7と呼ばれたViiは、先程と変わらず笑みをたたえているものの、濁った視線を下に落としてハハハと笑っていた。
「ヒトリさんは、以前とは別人になっています。思考判断能力は極めて低い。そして組織に忠誠を誓うの一点張り。組織の真相、私が誰なのか、自分が本当は何なのか。今の彼女に伝えるのは無意味でしょう。彼女を元に戻すことは可能なようですが、任務が完全に終わるまでは許されないと研究所長様に言われました」
「……」
「統括長補佐官様。私がお嫌いでしょう。私が憎いでしょう。しかし私どもへの警備が強化された今、残念ながら昔のようにあなたたちに牙を向くことが出来ません。寧ろこの組織から早急に開放されるため、彼女を元の人格に戻していただくため、目標を達成するまで我が十四部隊は全力でお役に立てるよう尽力いたします。ですからどうか、目を瞑ってくださいませ」
「……その言葉が真実かどうか。明日の任務でしっかりと見極めさせてもらおうか」
 大きく舌打ちをしながら手を離したシノザキは、メモリー媒体を取り出し荒々しく相手に手渡す。どうやらこのことを直接問いただしたかったがために来たらしい彼女は「またヒトリに会いに来る」とだけ告げ、身を翻して部屋を離れていった。
 首を痛めた男は、ひとり寂しく部屋に取り残される。力なくソファに倒れ込んで、俯きながら言葉を漏らした。
「私が、彼女を守らなければ」
 今の彼女に、すぐここから逃げるという選択肢はない。この組織が目的を果たし彼女が開放されれば、いくらでも時間がある。あの子を開放してあげられる。あの子を地上で暮らせるようにだってしてあげられる。だから今は耐えるのだ。耐えて彼女の肉体を守るのだ。
 真実を知らない、まだ知らせられない女の相棒は、誰にも打ち明けられないまま意志を募らせていくばかり。冷たい夜の始まりは、長い長い不幸の始まりでもあった。
 はじめての任務は夜で幕を開ける。

「ひゃあ。」
 此処は、地上と地下をつなぐエレベーターホール。地下ぐらしの人間はよく、どう足掻いても地上に出るすべはないと思われているが、許可と目ん玉と声さえ揃えば底辺部隊の人間でさえも外に出ることができるのだ。
 それでも地下生まれ地下育ちの人間にとっては大イベントだ。灰色で安っぽい十四部隊のフロアとは全く違う、白い大理石の立派な空間を目の前にして、初めてエレベータにー乗るヒトリはかなり興奮していた。まだ眠気が消えたわけではないが、少なくとも緊張など一切していなかった。
[右目をカメラにかざして、コード番号を打ち込んでください]
 エレベータ入り口の横で、タッチパネル式のモニターの言われるがままに、彼女はカメラに鋼色の瞳をかざしてコードを打ち込む。因みにこの組織の人間は現在すべての人間がコードを持っているが、この制度は現統括長が設定を指示したらしい。
[音声認証を行います。モニターに表示された文章をゆっくりと大きな声で読み上げてください]
「雨がやみ、雲のすき間から『やらわ』かな光が差し込む。」
[適正構成員を確認しました。第十四部隊起動要員、ヒトリ、出動目的、アバター派第一支部の内部情報の取得、出動時刻1:00、退却時刻5:00です。お気をつけていってらっしゃいませ]
 無機質な合成音声が喋り終わると同時に、白一色だった扉がぱっくりと口を開ける。鏡のついた四角い箱へ、たったのヒトリは吸い込まれていった。
 地下の本拠地から地上は想像するよりもずっと長い。緊張しているヒトリにとってはさらに長く感じられ、暇を持て余して毛先をいじリはじめる。本来腰掛のポールに肘をかけながら壁のモニターを眺めていると、耳横で聞き馴染みのある声が聞こえてきた。
『あ、あ、聞こえますか、ヒトさん』
「ヴィー。聞こえる。今日は宜しく。」
 オペレーターであるヴィーは、今頃モニター室でシノザキと共にヒトリを見守っていることであろう。もちろんヒトリは上司にみられていることを知らないので、訓練のときと感覚は変わらず慣れたものである。それに対し、オペレーター何時ものように無駄にヘラヘラとはしていないようだ。
「退却時刻がやけに遅い。そんなに時間のかかる任務なのか。」
 思い出したように先程の合成音声の言葉について問いただすと、八つ当たりするかのように返事が帰ってくる。
『あなたが知って何になるものでもありません』
「……そうか。そうだな。」
『少数の武装部隊が周りに待機しているそうなので、もしもがあれば彼らを頼ります。ちなみに今日の私のオペレート、彼らも誘導しなくてはいけないそうで不安なんですよ』
「……そうか。」
 ポーン
 丸い音と同時に扉が開く。先程よりもふた周り小さくなった部屋は、マンションを四室並べたほどの大きさだった。それもそのはずこのエレベーターホール、遺伝子研究機構が間接的に所持している、本当のマンションの一部なのである。地下に追いやられた人間の出口だ。わかりやすくなっていては意味がない。
 スタッフルームにつながる扉から、起動舞台は裏口へと足を運んだ。
 高揚する右手で、重い鉄の扉を開ける。
 地底人は、息を呑んだ。
(これが、外)
 明かりに照らされて薄明るい闇に覆われた大きすぎる部屋。どこからとも無く冷たい風が吹きすさび、耳にかかる圧がおかしい程に減る。自分の呼吸音さえも反射せずに、果てしなく遠くへ消えていくようだった。
「外。」
『そう。これが外です。いずれ私たち……私とヒトリさんが戻ってくる』
 息が止まりそうになる高揚感は、初めて地上に出た彼女を形なき力で前に押し出す。最初はゆっくりと、徐々に早く。あぁここが、我々が追い出された地上なのだと涙さえ出てくるようだった。
(外は、まるで大きな空気のようだ)
『さあいきましょう。仕事の時間です』

Aランク81ブロック第26地区
アバター派26地区ビル前

 アバター派。MEROに所属する中規模組織の一つ。MEROの中ではかなりの力を持った団体で、国内に七つの支部を構えている。彼らの目標はアバターロボットを使って強さを手に入れる、或いは日常生活を豊かにすることを目的とした団体であり、生身の身体では介護が必要な人間を始め、多くの人間から支持を受けている。機密情報を多く持っているらしく、内部の一握りの人間しか統括長の居場所、すなわち本部がどこかは知らないそうだ。
 と、ここまでがヒトリの相棒から聞かされた長ったらしい説明であるのだが。
『着きましたよ』
 エレベーターホールから自動運転車で二十分もかからない所にそのビルは鎮座していた。
 百メートル程のビルは螺旋のようにうねり、青みのガラスで一変を覆い尽くすなんとも奇抜なデザインである。他の直方体ビル郡と中で、ここだけがやけに目立っていた。
『さて。始めますか』
 ヴィーの指示で裏通りの林に面した方にまわると、まるでヒトリを歓迎するかのように五センチ幅の通気口が空いている。
 彼女の能力の液状化の最大の使いようが、まさにこのような人の通ることを考えていない細い空間への侵入だった。
 目を閉じて、慣れたように相手の言葉を待つ。
『すでに別部隊が監視カメラ映像の偽装処理をしてくださっています。ヒトさんはそのままパイプを通ってしばらく直進してください』
「了解。」
『能力発動5秒前。……2、1、0』
 リストバンドが光り、吸い込まれるようにヒトリの姿は跡形もなく消えていく。彼女らの任務が始まりを告げた。
 
『またT字路がある……これは……。』
「左にお進みください」
 臓器と眼球以外は人の形を崩しズルズルと通気口を這う元少女は、インカムと超小型pc、リストバンド、ファイタースーツだけを引きずりながら奥へ奥へと進んでいく。そんな様子を、同じくインカムをつけた男と、その男を監視する女が画面越しに見守っていた。
「打ち合わせはしなかったのか」
 別の書類に目を通しつつ、静かに二人を監視する補佐役の声は、目の下に薄く隈をつけながら隣の人間に問いかけた。昨日のようなトゲトゲしさは残って入るものの、ある程度は彼のことを信用しているらしい。
「大まかな流れについては行いましたよ。しかしヒトさんは、知識の実用化に関する能力が非常に弱いのです。反射神経が良いので、思い出させて行動させるよりも細かい指示はリアルタイムでするのが一番効率がいいと」
「彼女はお前に従うだけなのか」
「今は効率が最優先です」
 目を伏せたオペレーターは、話を切って相手の指示へと意識を戻した。
「さぁ着きましたよ。ここがポイントです。インカムのモードを変換させるので、そこで十分間の待機を」
『了解。』
 
「……ぅ……ぃゃ」
(……人の声が聞こえる。)
 その場で待機と命令が下されているヒトリに、声の主を確認しに行く権利はない。しかし彼女の勘どおり、そのパイプを進んだ先はネットワークの発信源室がある場所だった。
 相方のヴィーが途中休憩を挟んでいることで暇を持て余していたヒトリは、インカムを盗聴モードにして耳を澄ませてみる。
 声の主は、けだる気な男女のものだった。
『ねぇ佐藤君、最近見ない人間が多い気がしないか? 』
『そうですね……。聞いたところによると、MERO本部の決めごとでお互いを監視し合うことを目的に別派閥から幾らか派遣団が来ているみたいで。逆に視覚グループの畑沼さんは、融合派に派遣されたようですよ』
(融合派? そんな派閥あったっけ。)
 聞いたこともないMERO派閥を耳にして首を傾げながら、さらにその話題を盗み聞く。
『ここ、近々投資していたRC派を吸収する予定なんですよね。私的にはこのタイミングで余りよそ派閥と交流するのはまずいと思うんですが……』
(RC派? そんな派閥あったっけ。)
『まぁ連合長が決めたこったからね。何事もなくことが終わるのを待つか』
『本部からの信頼が厚いアバター派ですからね。よっぽど大丈夫だと信じたいです』
 苦笑いをしながら歩き出す二人の会話の意味をきちんと理解できたかどうかはおいておいて、ヒトリは少し後悔しながら盗聴モードを切った。
(勝手にやって、ヴィーに怒られる、かな。でも、喜んでくれるかな)
 そう考えた瞬間、
『聞いてるんですか‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼ 』
「うわっ。」
 爆音のノイズが耳に流れ込んでくる。驚いたヒトリは飛び上がるようにして、インカムをその場に投げ捨てた。
 カツーン。と、パイプの中で音が反響する。その音が今にも部屋を出ようとしていた二人に聞こえたかどうかなど、彼も彼女も考えてはいなかった。
「お、起きてるぞ……。」
 
 場違いなたとえではあるが……はじめてのお使いに、オールセルフレジのスーパーをチョイスする鬼畜な親もいるまい。これはそれと同じことである。いくら下っ端の第十四部隊とはいえ、戦闘の可能性のある任務を初めにやらされることはなかった。
『データ取得完了。退散します。只今出口付近の状況を確認中』
 あれからどれくらい経っただろうか。何百メートルもパイプをたどって地上約七十メートルのポイントまで来たヒトリは、ついに何事もなく任務を終了させた。何分間も液状化で溶けていた彼女は、鉄にまみれた汚い空気に嫌気が差していたらしい。その言葉を待っていたかのようにリストバンドを取り出す。
「増進剤の延長を頼む。」
『……ぇ』
「おい、ヴィー?」
『……まずい』
 相手の切羽詰まった声色を聞いて、まるで共振するかのように一人の体はこわばる。高鳴る心音を押さえ込みながら、恐る恐る彼女は問うた。
「何だ?」
 一時の沈黙。
『出口付近ヘ監視ロボットが駐留、カメラ偽装、破られました』
「そんな。」
 ヴィーのあからさまな動揺の声色に、相方は動揺して増進剤を二滴注射する。
 ぐゎん
 身体がうねるように溶け、まるで皮膚さえもなくなるような液状化の第二形態。それはある程度の形を保つ皮のような皮膚さえも溶け、動きの早くなる奥の手だった。
『映像偽装ポイントは幸いそこのみでしたので、監視ロボットは現在入り口にしか集まっていません。別ルートを考えます。指示しますので、なるべく速く脱出しましょう』
 
 引き返し始めてからはや六分、下降を繰り返す一行には、まだ光さえも見えない。手前から流れ出す外気が、まるで彼女の動きを阻んでいるようだった。
『右、下、そこは右です! あと百メートル』
 先程よりもノイズが大きいなぁとヒトリが心配していたその時、彼女のあまり制度の良くない耳は違和感の正体を確信した。したくはなかったが。
「なぁ、後ろから、なんか来てないか。」
 だらり
 冷や汗が流れ出る体細胞を掻い潜って、液体は進行方向とは逆向きに赤外線小型カメラを移動させる。
 ここからは見えないモニターを確認したヴィーに、息を呑む時間すら与えられなかった。
『追跡……ロボット』
「は。」
『何故。追跡ロボットが……通気口に侵入してきた。間違いないです。何十メートルか先からこちらに近づいてきて。標的は……』
 ヴン
 相棒の声を遮って彼女の耳に反響したレーザー音は、即座パイプが変形する嫌な音に変わった。
「俺、今武器持ってない。」
『一番近い通気口から飛び出すと、地上から約40メートル』
 その数字が意味するのは……
「死に……たくない! 」
『問題はないです。指示をよく聞いてください。』
「どうすれば……どうすれば。どうすれば。」
(考えろ、考えろ。考えろ。考えろ! )
 頭が真っ白になり、身体がこわばったように動かなくなる。そんなヒトリの思考に苛立ちを隠せないNo.7は、まるで死骸に話しかけるかのような冷淡な言葉を吐く。その本心は、ただ無様なほうの相棒から目を背けたい一心で。
『落ち着けお前は黙って指示を聞いていろ』
「俺、まだヴィーといたい‼ わがままだけど、馬鹿だけど、俺まだヴィーと一緒にいたいんだ。」
『ヒトリ』
 
「俺生きたいよ‼ だからヒトリ! お前は頭を動かせ! ヴィーに、見捨てられたくないんだろ!」
 
『……‼』
 余りに短い一瞬は、余りに重い一瞬だった。まるで電撃が走ったかのように、パリパリと男の喉は傷んだ。
 大きな大きな、後悔だった。
(コイツだって……昔のヒトリさんのように……生きて、いる。感情を、もって、私を望んでくれている。今までただの駒として、扱っていただけというのに)
 ヒトリの思考が停止するより、相棒の思考野回転は余りにも早かった。今まで聞いたことのない怒鳴り声で、マイクをひっつかむ雑音と共に指示が飛んでくる。
『ロボットを避けつつ外部隊の銃があたる所までおびき出す。だからヒトリ、お前は死なせねえ。俺が生きている限りお前は死なねぇ! 』
 聞いたことのない程荒々しいその声はまるで催眠術のように、重く、低く。少女の固まった心臓に乗っかかる。初めて体験する恐怖が、まるでなんともないと思えるような自信が芽生えてきた。
(あぁ。やっぱり、ヴィーはいつでも一番の答えを出してくれる。ヴィーと一緒なら、何も心配いらない。)
 男の思考が動き出すと同時に、少女の思考は停止した。
 ヒトリは震えながら、ゆっくりと目を開く。
「……わかった。」
『行きますよ?』
 ヒトリに戦闘開始の電気が走った。こわばった身体を、無理にでも動かそうという気が湧いてくる。体を細くして空気抵抗を減らし、極限までスピードを上げる。
『移動速度に関しては向こうが一枚上手です。だが、相手に比べてお前のほうが小回りがきく。三分なら持ちます‼』
「ヴィー、そのまま俺に指示を! 」
『ぁあってますよ‼』
 荒々しくも不敵に笑う男の声が、齢17の人間を満たしていく。
『上に避けて。そうです。15秒後からヒトは身体をねじるようにしてパイプにへばりついて! 速度を落として24秒後に停止。飛び出ないように‼』
「あぁ!」
 徐々に距離が近づくに連れて、正面をみた状態でもレーザー光が近づいてくるのがわかる。それでも、先程の相棒の言葉を聞いたあとのヒトリは、怯えの気持ちなど微塵もなかった。
『右に体制を傾けて下に移動……今! そのまま真っ直ぐ。もうすぐです』
「出口だ。」
 夜ではあるものの、通気口にずっといたヒトリに見えた闇は明るかった。徐々に大きくなるその丸へ、勢いをつけた肌色が流れていく。遠くなった相方の怒鳴り声は、別の人間に通信を繋げているようだった。
(9、8、7……)
 追ってくる敵と距離が縮まりながらも、相方を信じ冷静なままの彼女は身体を旋回させる。酔うほど視界の回るのに耐えながら、鉄の表面を引っ掻いて速度を落とす。指示通りの完璧な動きだった。
 そして、
『「0。」』
 レーザー音。羽音を立てていた虫型の機器は勢い余ってビルの外に飛び出し、その光で容赦なく破壊され消し炭になった。
 静寂。そこにはただ、寒々しい夜の余韻が残る。先ほどとは打って変わって穏やかになった相棒の声が、呆然としていた女の意識をインカムに戻した。
『さて、ここからなら液状化で無傷で下りられます。監視ロボットがこちら側に来る前に別部隊を追って逃げましょう』
 彼女が通気口から顔を覗かせると、見たこともない金髪の男がこちらに微笑んで帰っていくのが見える。きっとあの男がヴィーの指示でとどめを刺したのだろうと目を細めて、ヒトリは外へ飛び出した。
「そうだな。」
  
「……どうやら彼女の容疑は晴らせたようだなNo.7」
 地下の基地にて。
 ヒトリがエレベーターホールに戻ったのを見届けて、もういいだろうと言いたげにモニター室の女は立ち上がる。息を切らしてマイクを切った相手を少し寂しそうに見つめながら、不意にシノザキはこう告げた。
「彼女は貴様の言っていたとおり、人形のようだった」
「……今に終わりますよ」
 片目で優しく微笑んだNo.7は、何も言わずにレイの横をすり抜けて部屋を出ていった。

Aランク81ブロック第26地区
地下

 もうこの時間は、外も朝というものになっているのだろうか。そうぼんやり考えながら、鉄の匂いがこびりついたヒトリは第十四部隊のフロアに帰ってきていた。
 「ただいま帰りましたぁ……。」
 フロア入り口を開けた瞬間、突然目の前が暗くなり、オリーブグリーンのジャケットに視界を覆われる。顔を真上に上げると、ほんの少しだけ涙目の相棒が、いつもよりぎこちのない、品のない笑顔で笑っていた。
「お疲れ様です」
 しばらく呆けていた少女は、そんな彼の無骨な手を握って気の済むまで立ち止まっていた。
「お疲れ様。ヴィー。」
 
 しばらくして任務報告も終わり、早起きのせいで睡魔がぶり返したヒトリはコーヒーを啜る大人の側で腰を下ろす。
「任務、成功したのか。」
「ええ。データ解析はまだだそうですが、取り敢えず取れる範囲のデータは取れたそうですよ」
 安心したように笑みをこぼしたそれは、思い出したようにこうとも付け足す。
「ヒトさんの盗聴データ、予想以上の収穫です。しかし、それとあの羽虫ロボット、恐らくアバター派のもので間違いありませんね。メモリ蓄積型なのでこちらの情報が流れることもありません。とにかく、地下脱出の大きな前進です」
「そうか。でももうあんなことはしない。」
「……」
「ヴィーはそんなに、外へ出たいのか。」
「……前のあなたとの、約束なので」
「ふぅん。よか、た。」
 ソファに寝そべって目を閉じながら、彼女は横にいる大男にもたれかかる。黄土色の美しい毛束が、黒いソファに引き立てられてつやつやと輝くとを見て、ヴィーはふとこんなことを漏らす。
「ヒトさんは、地上が怖くなりましたか」
 その言い方はまるで、どこか相手にイェスと言ってほしいという、奥底に押し込んでいた本心を孕んでいるようであった。ただの一度相棒を守れただけなのに、彼には恐怖が止まらない。震えるようなその肩は、愛する人間の身体をどこまでも労っていた。
 それに対し返答者は、さも当然のようにこう告げる。 「俺は、死なないんだろ。」
 ヒュ
 息が、乾いた喉を抉り取る。ヒトリは笑顔を作らないものの、怖いほど穏やかな視線で相手を見つめた。
「ヴィーは、外に出たい。俺この組織の役に立てば、ヴィー早く外に出られる。俺はこんなことしかできないけど、大丈夫。あんたと居れ、れば、怖くな……い」
「……」
 砂の舞うように頼りない少女の声は、いつしか音の無い寝息に変わっている。そんな彼女の頭を優しくなでながら、後悔と自責の念で渦巻いた男は一筋の体液を流しまぶたを伏せた。
(私はこの子を生かそうと思えた。なのに同時に、この子を、感情の持たないただの人形にしてしまったのか)
 はじめての任務は、今までの彼の考えを打ち砕くような残酷な一言で幕を閉じる。自分が犯した罪が、影から飲み込むように部屋を覆っていった。
 
 これは、操り人形と人形師が棲む地下の物語。